ある祝い日の小話







「かーんぱーーーい!!」

 女性の声で、そこにいた皆が声を揃えてグラスを天高く上げる。

 年の初めの恒例行事として、ソルファレナでも盛大なパーティが行われていた。

 王族だけでなく街中の人々も艶やかに着飾り、1年の初めの日を祝う。

 お祭り騒ぎのようになっている街のいたる所では歓声が沸き、それは城の中でも同じだった。

 先ほど乾杯の音頭を取ったのは、酒豪として名を馳せているサイアリーズだ。

 だが酒豪と言っても酔いが回るのはかなり早いらしく、パーティが始まってまだそんなに時間が経ってないにもかかわらず、数杯のワインですでに酔っ払いの体になっていた。

 そんなサイアリーズが仕切る場にはイリヤを始めとして女王騎士や侍女などの面々が集められ、正に酒乱パーティと呼んでもおかしくないほどの異常な盛り上がりを見せる新年会が行われていた。

 皆がワインやらウイスキーやらを飲む中、まだ未成年の立場であるイリヤは場違いな雰囲気を感じたため、テラスの隅の方でオレンジジュースを飲んでいた。

 皆からはひとり離れているイリヤだが、本人はそれでいいと思っていた。

 原因は、視線の先で繰り広げられている光景だ。

 仲の良さを周囲に見せつけるように、寄り添って酒を酌み交わしている男と女、それはサイアリーズとカイルだった。

 グラスにワインを注ぎ合い、傾けて乾杯をして、ひと口飲んで何かを語り、2人で同時に笑い出す。

 それは誰がどう見ても恋人同士のような、そうでなくとも友人以上の関係だと勘違いするほどで、女王騎士のひとりが冷やかすように関係性を問えば、サイアリーズは可笑しそうに身体を折り曲げて大笑いした。

 だが、有り得ないと笑い転げるサイアリーズの隣で、少なからずショックを受けて寂しそうに微笑むカイルの僅かな変化は、どうやらイリヤしか気づいてないようだ。

 サイアリーズに釣られて笑っている周りを他所に、ずっとカイルだけを見つめていたイリヤは、ふいに視線を逸らしたその碧眼とばっちり目が合い、酷く狼狽してしまった。

 当然、相手の顔も驚愕に歪み、見開かれたその目はいつから見ていたのかと訝しげに細められる。

 蛇に睨まれた蛙のような心境に身が竦み、だがかろうじて視線を逸らすことはできた。

 そのたどたどしい動きにカイルも盗み見されていたことを確信したのだろう、暫くの間イリヤを睨んでいたようだったが、ひとしきり笑い終えたサイアリーズに声を掛けられたため、ようやく視線が外される。

 様子を窺えば、再び酒を飲み始めたサイアリーズとカイルの姿を捉え、胸の痛みを散らすように視界から2人を消し去った。

 よほど気を張り詰めていたのだろう、異常なほど長く感じていた睥睨から解放されたことで無意識に漏れた溜め息を、酔いを醒ますためにテラスへ出てきていた年若い女王騎士に聞かれていたらしい。

「王子、お疲れですか?」

「あ・・・ううん、大丈夫」

「・・・そう、ですか?・・・うーん、でも・・・顔色が優れないようですが・・・」

 心配そうに覗き込まれ、居た堪れなくなったイリヤは無理やり笑顔を貼り付けて安心させようとした。

「ホント、大丈夫だから!・・・あ、ねぇ・・・それってお酒・・・だよね」

「?・・・はい、そうですが・・・」

 話を逸らそうと、女王騎士が手にしていた細長いグラスの中身を指差す。

「・・・ちょっとだけ・・・飲んでもいい?」

「えっ・・・あ、それは・・・ええと・・・」

 きっと個人的には少しぐらいならという気持ちが女王騎士の中にあるのだろうが、いかんせん相手は王族、もしものことがあってはと返事がしどろもどろになっている。

 だが駄目だと言われてないのだから、もうひと押しすれば承諾してくれる気がして、イリヤは甘えた口調でお願いをした。

「皆、見てないし・・・内緒で、ね?」

 狙ったつもりはないのだが、内緒話をするように近くへ寄って上目遣いで見つめた効果が出たようだ。

「っ・・・じゃあ、少しだけですよ・・・?」

「うんっ・・・ありがとう!」

 その悦びを満面の笑みで返せば、女王騎士は見事に顔を赤らめつつも、イリヤの動きを見逃すまいと目で追ってきた。

 イリヤが手渡されたグラスに口をつける。

「・・・甘くて、おいしい・・・」

「それは・・・カクテルです」

「へえ・・・お酒じゃないみたいだね・・・」

「・・・そう、ですね・・・」

 ぼんやりと言葉を返してくる女王騎士の視線を真横から感じていたイリヤは、そこでようやく振り向いた。

「・・・どうか、した?」

 その、熱に浮かされたような双眸に、これまで違う人間から同じような眼差しを向けられてきたイリヤが気づかないわけではなかった。

 だが敢えて気づかない振りをすることで、相手の動向を窺う。

 やはりとも言うべきか、女王騎士とは視線が絡み合ったままだ。

「王子は・・・今までにお酒は・・・?」

「飲んだこと、ないけど・・・」

「じゃあ、これなんていかがですか?」

 鮮やかな青と黄が上下に分離している綺麗なカクテルを出される。

「わ・・・すごい綺麗だね・・・」

「よかったら、どうぞ」

「え・・・でも・・・」

「大丈夫です・・・2人だけの秘密、ですから」

 秘密を共有するように含み笑んだ女王騎士の目がまともに見れず、俯き加減でカクテルを手に取った。

「・・・ありがとう」

 感謝の意を述べるも、先ほどとは違って感情が伴わない。

 女王騎士の気持ちを弄ぶように媚びているだけに、身勝手な都合で彼を巻き込んだことを後悔しているのが正直なところだった。

 それに、今この瞬間だけでも酔ってしまえればどんな酒でもよかったという事実が、更なる罪悪感を募らせる。

 だが、そんなこととは知らない女王騎士は自分に好意を持ってくれてるのだと勘違いして、なおもイリヤに声を掛けてきた。

「さあ、どうぞ。・・・俺、こうして向こうから見えないように座りますから・・・」

 そうした気遣いに小さく頷き、特有の甘さと飲み易さから早々にグラスを空けてしまったのが失敗だった。

「あ、れ・・・?」

 グラリと歪む視界に、一瞬にして平衡感覚が失われる。

 酔うとはこういうことなのかと認識すると同時に、椅子に腰掛けているのに足元から崩れ落ちていくような感覚に囚われ、ゆらりと身体が傾いだ。

「えっ・・・王子?・・・もしかして、アルコール強すぎましたか!?」

 慌てる素振りを見せる女王騎士が身体に触れてきたが、嫌悪感よりも何よりも、その慣れない浮遊感に救いの手を求める。

 倒れる寸前、近づいてきた影に咄嗟に捕まることでなんとか持ちこたえたが、それが誰であるか気づき顔を青褪めさせる。

 そうして、イリヤだけが聞き知っている、怒りを極限にまで抑え込んだ低い声が頭上から降り注いだ。

「・・・何を、してるんですか」

「ぁ・・・っ・・・、・・・カイ、ル・・・」

 名を呼んだことで現実味が増し、イリヤは狼狽えた。

 すぐに掴んだ服を離し、距離を取る。

 視界の端に自分の心配をする女王騎士の姿を見つけて、この後に起こる悲劇を想像して、ゾッとした。

 無関係であるはずの彼を、本当に巻き込んでしまう。

「あ、の・・・僕、部屋に戻るよ・・・」

 この稚拙な判断が合ってたのか否か、それは次の瞬間に決まった。

 カイルが若き女王騎士の胸倉を掴み上げたのだ。

 先ほど、イリヤの視線が恐れるようにその女王騎士へ泳いだのを、カイルは見逃さなかった。

「カ、カイル殿っ!?・・・何するんですか、いきなり・・・!」

 その声で、会場内が少しざわつきはじめる。

 女王騎士同士がいざこざを起こしているのを、周囲が野次馬のごとく見つめる中、静かにカイルが怒りを顕わにしていく。

「馬鹿か、お前は。自分が何をしたのか分かっているのか?・・・反省だけでは済まないぞ」

 後輩への厳しい叱責と言えば聞こえはいいが、その凄味を利かせた声音は私情をはさんでいるように感じられた。

 はじめは現状の把握ができずにいた若き女王騎士も、イリヤの困惑した表情を見るなり、自分のしでかしたことにようやく気づいたようだった。

 イリヤ以上に顔面を蒼白にさせ、カイルの気迫に恐れ戦いている。

「あ・・・あの、俺っ・・・」

「言い訳はするな、見苦しい」

「カイルッ・・・これは僕が悪 ─────」

「あなたは黙っていてください。・・・いいか、次はないと思え」

 カイルはイリヤの必死の擁護を聞こうともせず、若き女王騎士に対し警告を発した。

 そして、ソファから立ち上がることのできないでいるイリヤを有無を言わさず抱きかかえると、立ち竦む女王騎士にひと睨みしてその場をあとにした。





 2階にあるイリヤの自室を目指す、ひとつの足音。



 抱きかかえられたイリヤと、颯爽と廊下を歩くカイルだ。

 そこに連れて行かれるまでの間中、何度も下ろして欲しいとお願いしたがことごとく却下された今、イリヤはベッドの上に寝転がされていた。

 真上には、カイルが怒りを湛えた顔で覆い被さっている。

 怒っている理由は、多分、予想通りだ。

 しかしイリヤは、それに触れないように謝罪を口にした。

「お酒、飲んで・・・ごめん・・・」

「俺が怒ってるのは、そんなことじゃありません」

 思ったとおり、謝るべきは酒のことではないようだ。

 とすれば、もしかしなくても理由はひとつしかない。

「・・・あれは、違う・・・」

「どう違うと?」

「どう、って・・・」

「誘われたんじゃなくて、誘ったんですか?」

「っ・・・だから、違うって!」

「どこであんな誘い方、覚えたんでしょうね?」

「カイル・・・っ!」

 聞く耳を持とうとしない男の名を怒りに任せて叫ぶも、組み敷かれた体勢ではあまり効果がないようだった。

「・・・まったく、あなたは・・・目を離すとすぐ面倒事を引き起こしますね」

 その言葉にイリヤが不服そうに顔を歪めた。

 つい、心の声が外に漏れてしまう。

「・・・・・・・・・誰のせいだよ・・・」

 そっぽを向いてそう吐き出せば、カイルは不審げな目で睨んできた。

「・・・どういう意味ですか」

「そのままの意味だよ」

「あなたの馬鹿げた行動が、俺のせいだと・・・?」

 その口調から、顔を見ずとも明らかに怒っているのだと分かる。

 気負けしそうになるのをなんとか耐えると、イリヤは挑発的な笑みを浮かべて上に覆い被さるその胸元に片手を当てた。

「そうだよ・・・」

 スッと指先でラインを辿れば、カイルの眉根が顰められた。

「カイルがいつもみたいに構ってくれないから・・・」

「・・・・・・・・・」

 信じ難いイリヤの発言に返す言葉が見つからないのか、身動ぎひとつせず瞠目するカイルの襟元を強く引き寄せれば、素直にそれに従った。

 キスをねだるような仕草で、触れた鼻同士を擦り合わせる。

「今から、相手・・・してよ」

「・・・今、ですか・・・?」

 イリヤにとって初めて自分から求めるという恥辱の行為を、カイルはやや困惑した様子で復唱した。

 少し動けば唇が触れる距離であるのにも拘らず、相手が動きを見せないことにイリヤは多少の苛立ちを覚えつつも、それは当然だと感じていた。

 先ほどまで想い人の隣で酒を酌み交わし、話に花を咲かせるという最も楽しい時をカイルは過ごしていたのだ。

 そのすぐあとで、自分から進んで担った義務とはいえ非生産的なことをするのは耐えられないのだろう。

 それを分かっていて、イリヤは試すような真似をした。

 もしかしたら、無理な要求に応じてくれるかもしれない。

 同情でもいいから、応じてくれたらいい。

 だがそうした想いは叶わず、結局は失敗に終わったわけだ。

 間近で見つめ合う2人だったが、先にその緊迫した空気を破ったのはイリヤだった。

「ふっ、あははっ・・・なんて顔してんのっ。冗談だよ、じょーだん!」

 悪戯っ子のように笑えば、途端にこわばったカイルの身体から力が抜けていくのが分かり、それほどに拒んでいたのかが服を掴んでいた指先から伝わってきた。

「・・・酔ってるんですか?」

「あ〜・・・そうかも?」

「・・・まったく、いい加減にしてくださ ──── っ・・・!?」

 呆れたのか乱雑に上から退こうとしたカイルの首に、イリヤが腕を巻きつけ、もう一度ベッドの上へ引き戻した。

 枕脇に片肘をついて崩れた体勢を整えようとするカイルを離すまいと、必死にしがみつく。

「っ・・・王、子・・・?」

「ごめん・・・少しだけでいいから、・・・このままで・・・」

 耳元で囁けば、その悲痛な声音に何かを感じ取ったらしいカイルが、宥めるようにイリヤの浮いた背に手を添えた。

 そうして優しく撫でてくれるその感触に、涙が溢れそうになる。

 嗚咽をかみ殺すように口をきつく結び、だがその反動でカイルの首に絡みついた腕が小刻みに震えてしまう。

 それをすぐに感知したカイルだったが、顔を上げようとすれば余計に首の拘束が強まり、まるでそのことに触れて欲しくないかのようなイリヤの所作に黙って背を撫で続けた。



 どれくらいの時間が経ったのだろう、落ち着きを取り戻したらしいイリヤの腕がふいに解けた。

 微かな衣擦れの音と共に柔らかな枕に沈み込んだイリヤを不思議に思い顔を窺えば、あどけない寝顔がそこにはあった。

「王子?・・・寝てしまったんですか・・・?」

 呼びかけても返事がないということは、酔いも手伝ってか完全に睡魔に負けてしまったのだろう。

 無防備に眠るイリヤを見つめ、カイルはその頬にかかる髪を指先で取り払った。

「・・・本当に、世話の焼ける人だな・・・」

 呆れたように溜め息を吐いたが、その顔は慈しむような微笑が浮かんでいた。

 ゆっくりと顔が降りていき、額に唇を優しく押し当てる。

 ぎしりと音を立て、カイルがベッドから降りた。

 イリヤの身体に上掛けを掛けてやり、音を立てずにドアまで歩いていく。

 そうして振り返ったその表情は、僅かな迷いが生じていた。

 さっきまで震えていた少年を置いて、部屋を後にしてもいいのか。

 だが、宴の途中で抜け出してきた自分を、きっとサイアリーズは待っているはずだ。

 暫し立ち止まって考えていたが、ドアノブを回すと少し冷える廊下へと足を踏み出した。

 愛する人の元へ戻る、それがカイルの出した結論だった。

 それでも後ろ髪を引かれる思いは拭えず、重い足取りはパーティ会場に戻ってからも続いていた。





 カイルが去った後の部屋では、イリヤが目を開けて天井を見つめていた。

「狸寝入りに引っかかるなんて、カイルもまだまだだね・・・」

 憎まれ口を叩くも、その声に元気は全くない。

 自分が眠ったように見せかけたのは、カイルを早く解放させてやりたかったからだ。

 抱きつくことで無理に引き止めていた自分の愚かさを、これ以上は好きな人の前で晒していたくなかった。

 両手で顔を覆い、こめかみを伝う涙を隠す。

 誰も見てないのは分かっていても、視界を閉ざしたかった。

 見えるもの全てを真っ暗闇にして、己も闇に融けて消えてしまえばいいと、そう思った。

 頬に触れた指の温かさ、額にされた口づけの感触は、どれだけ拭っても消えることはないだろう。

 それどころか、心の中に記憶として残りかねない。

 それでは駄目なのだ。

 実ることのないこの恋に、早く終止符を打たなければいけない。

 カイルの勘違いから始まったあの義務的な行為は、今日のこの日を以って、やめにしよう。

 次に顔を合わせたときこそ、終わりを告げる。

 全ての感情に蓋をして、心が壊れることのないように。

 決意を固めたイリヤの部屋の窓の外では、まるでその想いに強く感化されたかのように、今年初となる雪が降り始めていた。










 終。











 とりあえず、終わらせました・・・。なんだろう、本当にこの救いのなさは・・・。元旦小説とは思えない出来ですねぇ。ただ人肌恋しい雪の降る季節って切ないよね・・・と、ただそれだけで使用したという。
 この番外編でようやく護衛の名前が出てきましたが・・・あれ?相互関係がどうも掴めてない・・・?
 カイルの心情も書こうとして、挫折したし。・・・へへ。
 ・・・ま、まぁいいや。いつものことですもんね・・・。
よし、本編書きます。
2008.12.31